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◆契りは未だ朽ちせざりけり◆(匿名希望N様)

木曽義仲&今井兼平

今井四郎兼平も…主の行方のおぼつかなさに、都の方へ上る程に、大津の打出の濱にて、木曾殿に行き合い奉る。
中一町ばかりより、互いにそれと見知って、主従、駒を早めて寄り合ひたり。
木曾殿、今井が手を取つて宣ひけるは、
「義仲、六条河原にて、いかにもなるべきしかども、 汝が行方のおぼつかなさに、多くの敵に後を見せて、 これまで遁れたるはいかに」
と宣へば、今井四郎、
「兼平も勢田にて討死に仕るべう候ひしかども、 御行方のおぼつかなさにこれまで遁れ参って候」
と申しければ、木曾殿、
「さては契りは未だ朽ちせざりけり…」

巻九 木曾の最期の事

木曽義仲(1154〜1184)
平安末期・源平合戦で活躍した武将。
源氏最初の征夷大将軍。朝日将軍とも。(享年31歳)

今井兼平(1151?〜1184)
義仲の腹心。木曽四天王にも数えられ、
合戦では先鋒を務める事が多かった。(享年33歳)


私がイチオシする歴史的BOY'S=衆道カップルは、木曽義仲と今井兼平です。
今ではすっかり知名度が落ちてしまったので、名前を聞いただけではピンと来る人のほうが少ないかもしれませんね。

私が二人に出会ったのは、学校の教科書。忘れもしない、高校一年の冬の事。そして科目は古典でした。
部活に命をかけていた私に予習などと言う文字は無く、授業の流れで「木曾の最期」を読みました。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「木曾の最期」というのは、平安末期の戦乱=源平合戦を描いた古典、平家物語の一部で、武将・木曽義仲の「最期=死期」を描いたものです。

木曽義仲は、絶望的な敗走をしていました。北陸の緒戦で平家を破り、源氏でいち早く都へ入ったものの、源氏同士の足のひっぱりあいや、貴族社会との軋轢の中で孤立、終には源頼朝の命を受けた軍勢が押し寄せてきたのです。 頼みの仲間たちも相次いで討たれ、率いるのはわずか数騎だけ・・・そんな義仲に残されているのはただ一つ死への道でした。

しかしそこにたどりつく前に、たった一人会いたい人がいました。・・・信濃の山々を共に駆けた乳兄弟の今井兼平。
二人の間にある秘密の誓いを叶えるために。

幼い頃、源氏同士の争いの中で父を無くし、受け継いだ領地や郎等もない義仲に、兼平は誓ったのです。
「死ぬ時は一緒」と。
それは「生涯ただあなただけ」という深い深い愛の誓いでした。
義仲はその誓いに心を支えられて、都まで戦い抜くことができたのでしょう。

しかし・・・肝心の兼平は先陣を切って、敵軍へ攻め込んでしまい、その行方もわからなくなっていました。
義仲が不安な思いを抱えつつ、でも何かの予感を持って琵琶湖のほとりを馬で駆けていると・・・
「義仲様」
ああ!願えば叶うものでしょうか。兼平が現れたのです。
二人は人目もはばからず馬を寄せて抱き合いました。

「お前もあの時の誓いを覚えていてくれたのだな・・・」

う〜んたまらん。
ここから先は是非原文をお読み頂きたいと思います。

いろんな本を読みましたが、義仲×兼平で最も美しく荘厳なのはやっぱり「平家物語」です。
兼平の死に様はあまりに鮮烈。そして美しいです。
義仲が泥田にはまっているところは見逃してね(テヘ!)

「いまはだれをかばわんとして戦をばすべき・・・」by今井兼平

これ読んでみて!
「平家物語・巻九木曽最期の事」上記の説明内容は「河原合戦の事」に登場します。ここもイイですよ〜

 

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